ブログ大家さんライブドア社にXが実名報道をされていると抗議してきた。
司法ジャーナルに投稿していたとき、M土地M社長とMを明示したら、そこだけ消せと
いうので消しました。M土地M社長が処分禁止の仮処分稼業をやっているそうですが、
大津洋三郎と同じジャンルで生き抜くM土地M社長、すばらしい。
さて、及川幹雄陳述はネット誌アクセスジャーナルでもでております。
及川幹雄はみずほ銀行社員でみずほ銀行その物ではない。
だが、及川は敬天新聞を押さえると大津洋三郎に一億強をわたし、
見事マッチポンプ詐欺
(セットアップ詐欺)に嵌められた感がある。
本間吉・土井淑夫・高尾昌司など富士薬品銀行事件いらいの有名人が
敬天新聞を騙り及川幹雄から1億以上騙し盗ったという疑いがでてきた。
その切っ掛けは敬天新聞記事である。なんと事件露見以前の早い時期に
及川は敬天を訪ねていたようだ。
(事務所も連絡先も明示されている新聞ですから訪問は簡単。)
及川幹雄が銀行解雇後グランドトラスト社代表に就任したというのも
このみずほ銀行及川幹雄事件の別の側面を疑わせる。
及川幹雄は「銀行に刺さる」ヤクザの前線ではないかと思うからだ。
及川幹雄関係民事事件および及川幹雄刑事事件は傍聴人が多かった。
そのおおくは銀行関係者である。そして親密者。
裁判には公開原則がある。
司法の正当性と正統性などをまもる基本的制度である。
こういう裁判で自らのために証拠をだした者はその検証にたえるべきではないのか。
同時に、訴訟中に相手方の商法を裁判外でネット誌をして批判させることは、
場合によると、名誉毀損などの民事刑事事件になりかねない。
(一種のダブルスタンダードである。)
そこで、かようなことに関与していないことを主張する
私の保護利益があり、関与存在しないという「悪魔の証明」はできないので、
(それしかか考えられない理論という妄想念慮主張はいかなる合理的説得によっても
訂正できない。)

その事実に強く反する事実は主張立証できるが、
このブログであらためてそのことを記するところである。

削除依頼された部分をXとしてブログ記事を再掲載する。
諸賢におかれては、Aジャーナル凸凹サイトなどで及川陳述や様々な情報が得られる。

及川幹雄事件はヤクザに対する利益供与の側面があると考えている。
〇〇さいとでは、サントリーへの利益供与を追求されている。
そのさらなる真相に迫られることを期待する。

(再掲)
及川幹雄という第一勧業銀行行員でありますが、その刑事事件で60億円ほどの被害額が
陳述された。
60億円を詐取した及川幹雄はその金をどこにおいてあるのでしょう。
そういう部分が報道もされず取材もされない。
この及川幹雄が社長として就任したのがグランドトラスト。
グランドトラスト謄本
この会社は銀七ビル(富士薬品、浅井健二、日建渥美地上げ中)に入居していて、
河野一郎児玉誉士夫の懐刀、大橋富重も役員だった会社です。
西田春夫も役員でした。
大津洋三郎は大橋富重が連れ込んだ事件屋です。
永代信用組合を舞台に金を振り回したのが、横井英樹と大橋富重そして理事長山屋です。
山谷の息子は結局大津洋三郎に喰われ、懲役に行くことになった。
大橋富重は数年前に死にました。西田春夫も。
それでもラジオ関東役員だった南丘喜八郎が監査役で残った。
この会社は参議院のドン村上正邦の会社と言ってよい。

1 グランドトラストと東洋不動産
グランドトラスト

 東洋不動産は横井英樹の会社。
その設立は昭和24年。大橋富重の柿の木坂の家を本社にして会社が立ち上げられた。
大橋富重は事件師の超大物です。知られていないだけ。
横井英樹が死ぬと、東洋不動産は大津洋三郎が横井邦彦から巻き上げた。
横井邦彦は賃貸マンションで首をつって発見された。
大津は手形で横井邦彦から東洋不動産を買った。手形は数枚落とされて残りは不渡り。
大津洋三郎自身「俺とつきあうと、自殺するか、刑務所に行く」というくらいだから、
言行一致。
このグランドトラストの代表に及川幹雄が融資目的で就任したのではないこと明らか。
ここに及川幹雄も自分で思い込んでしまった、詐欺の大きな仕掛けがあるわけです。
大津洋三郎は横井邦彦の弟の会社財産も狙う。
AAAと言う会社を使い、富士薬品の資金を使い、大井松田の横井財産を狙い、
富士薬品の金は佐世保のヤクザ「水心会」に献納された。
結局、大津等の大井松田物件競売妨害は蹉跌、池上トーヨーボウルだけが
大津等が取得した。
それでも小野塚清の競売妨害でアイチ森下の会社が集られ、
大津洋三郎厄ネタです。

2 事件師の仕事の連続性は通常のビジネスと同じ。
みずほ銀行事件と大津洋三郎が無関係のはずはなく、
政治屋というものは銀行から金を引いて出世してゆくものです。
党人派という官僚の応援なき者はとくにそうです。
銀行に如何、刺さるか。
武蔵野信用金庫あたりは刺されて死にました。
殺したのが、祭主哲也と種子田益男。ついでに東京商銀も死にました。
東京商銀立川支店支店次長権は保釈逃亡した。
みずほ銀行事件は弘道会が刺さった事件です。
及川幹雄はそれをすでに語っていた。
早い時期に、K新聞に。遅い時期に法律相談で。

麻生大臣は金持ちだし、みずほ銀行に集る必要はない。
そう言うお話で
貧乏人の政治屋やヤクザが目眩ましをマスコミに喰わせただけです。

3 証拠採用された及川陳述書。公開します。
裁判は公開だから閲覧できるのです。

【陳述
平成28年6月3日
東京高等裁判所 御中
住所 東京都✘〇△町、、、、
氏名 及川幹雄(印) 
※住所、名前は本人手書きで署名、捺印

私は、私の刑事(詐欺)事件において、
第1審及び控訴審において実刑判決を受けましたが、
保釈を認められ、現在、最高裁判所に対し、
主として量刑不当を理由に上告しております。
以下、みずほ銀行からの私に対する本件調査の経緯を
中心に陳述いたします。
第1 前提として以下の1ないし3の事案について、予め申し上げます。
1 私とXとの関係
(1)私は、X氏に初めてあっのは平成23年5月20日、
面談場所はみずほ銀行本店2階の銀行応接室です。
櫻橋厚氏(注 弘道会組員)を介して紹介されました。
(2)私は、平成23年5月25日から同24年6月30日までの間に、
武藤治人氏より投資目的で搾取した金員(金2億1500万円)から
配当目的で戻した金額(金7290万円)を差し引くと、
武藤氏には実質的に金1億4210万円の損害を生じさせ、
一部金160万円の被害弁償をしました。
2 私と株式会社ぎょうせい及び本間美邦氏との関係
(1)私は、平成15年3月、
みずほ銀行銀座外堀通支店の服店長になりました。
だが、法律関係の老舗出版社である(株)ぎょうせいは、
この銀座外堀通支店の取引先であり、
私は、会社の内部事情などを知り得る立場にありました。
(2)当時(株)ぎょうせいにはオーナーの不祥事問題があり、
オーナー交代・株式の売却・エムアンドエー問題に直面しており、
一方、私は、日本の法律出版社の買収を
目的としているアメリカの日本法人を知っておりました。
(3)私は、(株)ぎょうせいオーナー藤澤玄雄の税務顧問であり、
みずほ銀行の顧問税理士でもある本間美邦先生に話を通して、
平成16年2月頃から平成17年9月頃まで約1年6か月を掛けて
ぎょうせい株式の買収を骨子とする企業買収システムを構築、
実務経験のある西崎泉氏を推薦し、同氏とともにこの仕事をしました。
(4)平成17年5月、私は、みずほ銀行東陽町支店長になりましたが、
この企業買収は私のシステムに沿って順調に進み、平成17年9月、
MBO(マネジメントバイアウト)という方法で完結しました
その段階でのぎょうせい株式取得会社は
(株)みずほ)キャピタルの協力があり出来上がったMBOであります。
(5)この仕事は、本間先生が
みずほ銀行本体に悪影響があってはならない」という意志で
水面下で進行しましたが、(株)みずほキャピタルの協力があり
出来上がったMBOであります。
(6)この仕事の完成により、私には、本間先生が取得される多額の
報酬の20%相当額が約束され、期待しておりました。
しかしながら、私は、一人の行員として表立って報酬請求
できない立場にあり、
本間先生より「君は最大の功労者である。しかし現役行員なので
今は報酬を渡せない。然るべきときに渡す。心配するな。」との約束で、
報酬支払いが先送りとなりました。
3 私が詐欺犯罪にかかわった経緯
(1)平成16年当時、私には多額の債務
(住宅ローン・借入金等合計4400万円)があり、
平成17年10月、期待した報酬の支払いがなく債務整理ができず、
その後3年程、借入金返済のため無理な借り入れをして借金が増え、
時にはウソを言って投資名目で金を調達したこともありました。
(2)平成20年3月、私は、本店審査役に就任しました。
そのころの私は、ぎょうせい案件をモデルにして投資システムを
図面にし、比較的おだやかなお客を相手に、
ウソの投資・配当・元本返済の話をして
お金を集めるようになっていました。
(3)平成22年4月頃には、私の嘘の投資話に、ブローカー、事件屋、
ブラックジャーナリストなどが
近づき、彼らは、投資家(被害者)の紹介、仲介料・報酬の
ゆすりたかりなど、私を巧妙に執拗に追い込んできました。
(4)そのトラブルを表面化させないため、ブローカー、事件屋、
ブラックジャーナリストらに対し、その都度一時金が必要になり、
その一時金を被害者からだまし取るという悪循環が始まりました。
第2 みずほ銀行の私に対する調査の経緯
1 銀行に私の不正行為が告発され、ヒアリング(事情聴取)された
経緯
(1)平成22年8月28日ころ、高尾昌司と名乗るブラックジャーナリストから
私に電話がありました。
私は、当時本店第二部で審査役をしておりましたが、
そのときに離席しており、
デスクに部下のメモ(高尾の名前と折り返し電話の要求メモ)が
残されていました。
(2)私は、折り返しの電話をせず、不正勧誘投資行為の発覚を恐れ、
すぐ土井淑雄(注 本間吉・金主)に相談しました。
土井氏は高尾を調査し、高尾が「私の兼業等の不正疑惑」の件で
銀行広報部宛に取材申し込みをしたことを知りました。
(3)その後高尾は、(株)ぎょうせいと本間美邦銀行顧問税理士の
名前を出し
不正を公表されたくなければマスコミ対策費500万円を払え。」と脅してきました。
(4)私は、土井氏と本間吉(つよし)氏を通じて高尾側に示談金を
支払いました。
そこで高尾との問題は水面下で処理できた
問題が大きくならない)と思いました。
(5)平成22年9月中旬、私は、銀行のコンプライアンス部門執行役員
新田さん及びコンプライアンス統括部長大谷さんから呼び出しを受けました。
ヒアリングの内容は、高尾昌司の件です。
ア 高尾の電話から1か月経過していますし、
コンプライアンス部門では
密かに私の身辺調査をしていたと感じました。
イ この当時、私は不正な資金調達(詐欺)行為を継続しており、
バレてはまずいと思い、
必死に「全く心当りはありません。」と否定しました。
ウ また私の部下が不審な電話を取次ぎメモしていいますので、
部下からの通報も心配でした。
エ 銀行研修において、行員は、不審な出来事があれば上司及び
  コンプライスアンスホットラインで通報することされていました。
オ ヒアリングは1時間程度で終了しました。
また「高尾は芳しくない方面の人物なので銀行からは接触しない。」
という銀行の方針を聞きました。
2 その後の私に対する「ゆすりたかり行為」について
(1)平成22年秋、高尾のほか同様の事件屋が私に電話を掛けて
来ました。
情報を持っていると判断できる人間には、その都度金で処理しました。
(2)銀行側に漏れたのではないかと感ずることもありましたが、
勤務の現場では、私は、比較的静かにしていましたのでヒアリングは
ありません。
(3)平成23年に入り、櫻橋厚氏から金を持っている医者を紹介する、
と言ってきました。
それがX氏で、5月、6月で1億の投資を得ました。
3 「いかり」と名乗る人物からの告発
(1)平成23年6月22日「いかり」と名乗る人物から銀行に電話があり、
取材の申入れがありました。私は断りました。
(2)平成23年7月1日、私のデスクにファックス通信による
怪文書がきました。
私の部下は、私に「審査役、変なファックスがきてましすよ。」
と言って、その文書を手渡してくれました。
(3)そのファックスには私の不正疑惑が少なくとも5項にわたり
記述されていましたので、不審な怪文書であることは明白でした。
(4)いかりなる人物は、東洋経済新報社とかそれと同じとうな名前で
たかりをする事件屋であり、本件についても水面下で処理しました。
(5)本件については銀行からヒアリングはなかったのですが、
内部調査が継続していたことは、平成23年8月になって知りました。
4 直属の上司からのヒアリング
(1)平成23年8月、「審査役が支店の顧客と直接会った」ということが
問題となり、
審査第2部田口部長と加藤副部長からヒアリングを受けました。
(2)私は、問題のある融資斡旋にかかわっているという疑いの目から、
私の投資詐欺が発覚するのではないかと恐れました。
私は一生懸命弁明し、その場ではお咎めはありませんでした。
5 平成23年秋の重松部長とのやりとり
(1)平成23年秋、審査第二部のもと上司であった企業審査第三部の
重松部長から長室に呼び出しを受けました。
(2)厳重注意でした。「及川お前は大事な時期なのだから
周囲に不審と思われる行動を慎め。富安審査担当常務も心配している。
営業部門ではあいお前が封筒を持って外出するなど、見る人がみたら
不審に思う。
1年前、コンプライアンス部からヒアリングを受けただろう。
そのことも自分は聞いている。何もないと思うが、
自身の行動には注意しろ。」
と叱責を受けました。
(3)私は、銀行上層部では、複数の人が私の疑惑と認識しているということを知りました。
私が、銀行から出入するとき何を持って出入したが、
についてまで注意を受けましたので、
何らかの監視を受けていたことを新式しました。
投資金の勧誘行為は、わからないとうに継続していましたが、
バレたかな、と思いました。
6 内容証明郵便による通知書の送付と取材申し込み
(1)平成23年12月、国際新聞社、週刊報道特集、週刊文春
 などから本間美邦先生に対し取材の申し込みがありました
銀行にも通じていました。
(2)当時、私は、関連株式会社オリエントコーポレーションに
出向中でした。
出向を命ぜられた段階で、審査部留守中の私に調査があると
思いました。
私は痕跡を残さないように注意して出向しました。
(3)しかし、その時期を同じくして、私の銀行のデスク(審査第二部宛)
に配達証明付きの告発文書(国際新聞社 注 飯田@高円寺@中山都議
届いたり、銀行広報部宛に取材申込み
(週刊文春中西昭彦記者 注グランドトラスト取締役がありますと、
私としては対応せざるを得ず、
そのとき佐藤昇(週刊報道サイト主幹)や大津洋三郎からは
マスコミ対策をすると持ち掛けられました。
その人間関係は、互いにマッチポンプのような役割で動いていました。
銀行にはバレていたと思います。
7 平成24年2月のヒアリング
(1)平成24年2月下旬、銀行コンプライアンス部門執行役員大谷さん、
部長と副部長、及び担当者の高野さんが、私を呼び出し「資金調達」
ことで取材申込みが来ているが、心当たりはないか、
と説明を求められました。
(2)その際、本間税理士の話も出ました。
銀行は本間税理士からも事情聴取しており、
本間先生は、私には「コンプライアンス違反行為の疑惑がある」
指摘されていたと説明を受けました。
(3)私は「事実無根」であると釈明しました。大谷さんや同席していた
コンプライアンス部門の人は冷たく対応していましたので、
全く信用されていないと感じました。
8 人事部付けとなったこと
(1)平成24年3月24日、私は、オリコ出向を解かれ銀行の
人事部付となりました。
その際、コンプライアンス部より私に対し、
疑惑のある資金調達行為の「事実解明調査協力」を命じられました。
(2)この人事異動は異例であり、銀行側は私を完全に疑っていました。
(3)その後担当高野氏と人事部の応援により、私に対し、
毎日午前と午後2回それぞれ2時間以上にわたり、
調査資料に基づいて、疑惑事実の確認と聴き取りがありました。
(4)この調査は、私の銀行口座の過去10年間の解析に至まで、
かなり執拗でした。
私は、ただひたすら言葉巧みに言い逃れをしました。
投資詐欺を想定した質問もいくつか受けております。
私も、その場合に備えて投資詐欺については現金取引をしていました
ので、発覚しても否定するように準備していました。
(5)担当者レベルでは、疑惑が確信になるような場面もありましたが、
私はただひたすら否認し、
調査を矛先を別に向けるため、自ら用意した軽微なコンプライアンス
違反を自白しました。
(6)この実質的な調査は平成24年3月に始まり、当初は限りなく
黒であったところ、
5月ころには白くなったと感じました。
(7)調査後、平成24年7月上旬まで再度人事部付けとなりました。
私は、そのころには懲戒解雇を覚悟していました。
9 調査期間中の処遇について
(1)この調査の期間中、私の身柄の扱いは非常に緩やかでした。
(2)通常、行員がコンプライアンス部門から違法行為を疑われ調査の対象になったときには、
銀行の研修施設に軟禁され取り調べられることが多いのです。
(3)私の場合は、コンプライアンス部門との面談以外の仕事はなく、
行内施設の応接室の利用もメールや電話なども自由に利用でき、
外出もできました。
(4)私は、その当時、ゆすりたかりグループにも、
被害者にも対応を迫られており、多額の金が必要でした。
私は、被害者から騙し取った金をゆすりたかりグループに
とられていました。
(5)この調査期間中も、私は、本件の違法行為を繰り返していましたが、
銀行の私の身辺に対する処遇は、本当にゆるやかでした。
(6)私は、Xから平成24年5月11日(金)に金3000万円、
同年6月30日に金500万円を投資目的で受け取り、違法に消費しました。
10 その後の処遇
(1)調査協力期間後も、私は人事部で待機し、平成24年7月上旬、
事務企画部に配属になり疑惑が「白」になったと思いました。
毎日出勤しました。
(2)その1か月、私は、ゆすりたかりグループにも被害者にも
対応を迫られ、身の危険を感じ出勤どころではなくなっていました。
一方、出勤すれば銀行で再度の調査を受け軟禁されると同じ、
出勤しなくなりました。
(3)平成24年9月12日、懲戒解雇の通知を受けました。
(4)その後、平成25年6月ころまでは、銀行担当者から電話があれば
それに応じて電話で応答しておりました。
以上】

箍がはずれるとあふれるように捲れるものです。
こういうことが、新橋4丁目まで行くか。
それはわからないけれども、、、、、、、、行くと思うよ。